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三英傑に仕えし兵(つわもの)ども〜其の一「森忠政」

三英傑に使えし兵ども(2)

この記事は、2018年3月1日(第45号)に掲載された記事です。

「勇猛な武将」として名高い森可成の六男として美濃金山城に生まれる。信長に小姓として仕えていたが、上長の者に対し乱暴を働くなど、問題も多く暇を出されて金山城に帰された直後本能寺の変が勃発、すぐ上の兄たち森蘭丸、坊丸、力丸を失う。

その後、朝倉攻めで戦死した嫡男可隆に代わり森家を継いでいた兄長可と共に秀吉に仕える。秀吉に気に入られ「羽柴右近」なる名をもらい近従として仕えるほどになった忠政であったが長久手の戦いで「鬼武蔵」と呼ばれた兄長可が壮絶な最期を遂げることにより、ついに、兄全員を失い森家を相続することになる。

秀吉没後はなぜか家康に急接近、その口添えにより信長の甲州攻めの際、長可が恩賞として受けた旧領信州川中島四郡へ加増転封される。「関ケ原の戦い」は東軍に参加、津山藩18万石へと大出世を遂げる。

戦国の世とはいうものの、兄弟全員が戦死の上、六男の身で家督相続した例は他に見ない。やはり勇猛果敢で知られる森一族ならではの宿命なのかも知れない。

執筆:堀川 泰伝


大徳寺 三玄院

寛永11年(1634)京に滞在中、忠正は没し大徳寺塔頭、三玄院に葬られる。 平和な晩年を過ごした忠政の死因は兄達とは違い食中毒(桃の毒)であったという。